「不妊治療の保険適用化」菅政権に移行した瞬間に大きな話題になりました。少子化対策の目玉政策として掲げられたのです。しかし不妊治療の保険適用化は以前から話が全くなかった訳ではありません。
さまざまな問題があり助成金という形で一旦落ち着いたのです。この「不妊治療の保険適用化」いったい何が難しく、何が問題なのでしょうか。
この記事では医療者の立場からこの問題を考えたいと思います。
この記事を書いている私は不妊治療に長年従事している不妊治療の専門家ですので、信頼性の担保になると思います。
1.保険とは
不妊治療の保険適用について話題になっていますが、そもそも保険とはなになのでしょうか?
ここで言う保険とは、公的医療保険のことで、日本では全国民が加入することが義務付けられています(国民皆保険制度)。
この公的な医療保険にもいくつか種類が存在し、民間のサラリーマンが加入する全国健康保険協会(協会けんぽ)、公務員が加入する共済組合、自営業者・サラリーマンOBなどが加入する国民健康保険、75歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度になります。
このようにすることで、全国民を公的な医療保険で保証し、安い医療費で高度な医療を受けることが可能になっています。
しかし全ての医療行為がこの公的医療保険に適応されるわけではなく、厚生労働省が承認していない治療や薬、さらに容量・用法を越えた使用は保険適用外とされ、自由診療となります。
自由診療の代表的なものとしては、予防目的のワクチン接種・健康診断や人間ドック・美容目的の歯科矯正・美容整形そして不妊治療です。
それでは、なぜ不妊治療の保険適用化への流れが進んできたのでしょうか。
2.なぜ不妊治療に保険適用が必要なのか
不妊治療を受けるカップルの割合や、不妊治療技術を用い生まれた子供の割合は年々増加しています。
日本産科婦人科学会の報告によれば、2018年に産まれた子供の約15人に1人は不妊治療で産まれており、その数は5万6000人を超えています。
また、妊娠を望むカップルの約5.5組に1組が不妊治療を受けているとも言われています。
すなわち昔のように、結婚をすれば子供ができるという時代ではなくなったということです。
これは子供を作りにくい社会環境であるのと同時に、作りたくても自然にはできないカラダになってしまっており、少子化を促進しているということではないでしょうか。
しかし、いざ子供を作ろうと不妊治療を受けても、保険適応なのは一部の婦人科検査と精液検査のみです。さらに保険を使用できる検査であっても現在の保険制度は厳しく、この保険を使用せずに診療する施設さえあるのが現状です。
すなわち、タイミング法や人工授精といった古典的な手法でさえ、不妊治療は保険適用外で自由診療となります。
また現在の不妊治療は高度化し、様々な検査や培養機器を使用することが多くなり、治療費はさらに高騰しています。
不妊治療患者を支援しているNPO法人Fineのアンケートでは半数以上の患者が100万円以上の治療費を支払っており、また仕事との両立が難しく女性が仕事を辞めざるを負えず、高額な治療費を稼ぐことができないという悪循環になっています。
そのため、特定不妊治療費助成制度が制定されたわけですが、制限が厳しく多くの患者が助成を受けられず、また不十分という意見が多かったのが実情です。
そこで、2020年に発足した菅政権が政策の目玉の一つとして掲げたのが、不妊治療における「保険適用の拡大」でした。
2022年4月の保険適用を目指し、それまでの間は助成制度の拡充という形で患者の負担を減らし、不妊治療へのハードルを下げることで少子化に歯止めをかけようと考えたようです。
それではこの不妊治療の保険適用は何が難しく、どこに問題点があるのでしょうか。
3.問題点
不妊治療の保険適用化に対する問題点や越えなくてはいけないハードルがいくつも存在します。
それは日本の不妊治療がプライベートクリニックベースで確立され、広がったことで法律ではなく学会の会告やガイドラインのみによって管理させていることが大きな原因と考えられます。
しかしプライベートクリニックベースで確立され広がったことは悪いことだけではなく、そのおかげで日本の不妊治療の技術力は非常に高く、またたくさんの治療法や選択肢が存在するという事はよいことではないでしょうか。
今回の保険適用化の流れで、この日本の不妊治療の良い点が壊されずに、患者さんの負担が軽減されることが一番必要なことと思われます。
それでは具体的にどのような問題点があるのでしょうか。
・薬剤や機器の認可
保険で使用できる薬剤には「適応」が必要です。
すなわち、保険で使用できる薬剤には治験の結果をもとに「この治療にはこれだけの量をこれだけの期間以内で服用する」といった決まりがあるのです。
しかしながら、現在、不妊治療に使われている薬剤の多くは適応外の仕様となっており、急に保険適用化するとなった場合、ほとんどの薬剤は使用することができない為、不妊治療は破綻するか、保険は適応化されたが結局は自由診療で治療を受けざるをえないといった事態を招きます。
「適応なんか決めちゃえばいいじゃん」と思うかもしれませんが・・・
保険には治験の結果をもとにした適応が必要となります。
しかし、治験を行うには膨大な費用と時間が必要で、なおかつ非常に大変な手続きが必要となり、現在不妊治療で使用されている全ての薬剤に実施するのは困難ですし、メーカーにもメリットは少ないでしょう。
それは培養液や培養機器も同じで現在は自由診療ですので厚生労働省の認可は必要ありませんし、メーカーはわざわざ手間のかかる認可は取っていませんので、これらも使えなくなります。
ちなみに普段から使われている培養液などは医薬品ではなく「研究用試薬」や「実験用資材」として販売されています。これら培養室で使用される培養液・機器についても考慮されるのかというのも一つ問題です。
また培養室や検査室で使用する機器は非常に高価です。「不妊治療は高い」そういうイメージがあるかもしれませんが、このような設備費にお金がかかるのです。もし保険で設定された金額があまりにも低ければ、このような機器を使用できず治療のレベルを低下させざるをえないかもしれません。
・混合診療
混合診療とは保険診療と自由診療が同じ日に併用されることを言い、これが行われた場合は全て自由診療という扱いになります。
例えば自由診療となる健康診断の時に普段から保険で処方してもらっている薬を出してもらった場合は、全てが自由診療の扱いとなります。
不妊治療でいうと保険が使用できる婦人科の検査と同時に、別の体外受精の診察を受けると全て自由診療となります。
なぜこの混合診療という考え方があるかというと、国は患者の支払い能力によって提供される医療に差ができてはならないとして「混合診療」を認めていません。
しかし、自由診療をベースとして広がった不妊治療にこの考えを当てはめるのは難しいと考えられます。
すなわち未承認の薬剤や機器を用いることで発展した日本の不妊治療の全てを保険でカバーしない限り、この混合診療という問題が残り続けるのです。
この混合診療を避けようと、保険で適応された薬剤・治療法のみで治療を行うために治療レベルを低下せざるをえないという事態を招けば本末転倒でしょう。
・治療法が統一されていない
日本の不妊治療はプライベートクリニックベースで広く実施されてきたことで、治療法が施設によって様々です。
そしてこの治療法や方針が様々なことで、施設を選ぶ患者さんの選択肢が多く、個人のライフスタイルや考えにあった施設を選ぶことができています。
また施設間でもより良い治療を提供できるように切磋琢磨しています。
これが、治療法が限定され、自由度が制限されてしまうとその治療法を行っていない施設は経営できなくなりますし、患者さんの選択肢は減ってしまいます。
また何より切磋琢磨する必要がなくなりますので、世界に誇る治療レベルはこれ以上伸びることはないでしょう。
・客観的な治療実績が公表されていない
保険で診療される場合、客観性・透明性のある治療実績が公表されることが必要と考えられます。
しかし、現在は各施設で公表している治療実績に統一性はなく、それぞれの視点でまとめられています。
以前記事にも書きましたが、例えば何をもって妊娠とするかは統一されていませんし、妊娠率を高く見せようと思えばできてしまうのです。
またそれらのデータは透明性がなく、真偽は知る由もありません。
実際、私も他の施設のHPを見ていて「ほんとに?」と思ってしまう事もしばしばあります。過大広告と捉えられても仕方ないものもたくさんありますが、患者さんはそれを見分けることは難しいでしょう。
海外では治療実績が一覧で公表されている国もあります。
保険で公費が投入されるのであれば日本でも客観性・透明性のあるデータが公的な機関や学会から公表されるべきだと思います。
・凍結保存料がかかる
近年の不妊治療、特に体外受精や顕微授精を始めとした高度生殖医療には卵子・精子・受精卵の凍結保存が必須と言っても過言ではないでしょう。
現在では新鮮胚移植よりも凍結融解胚移植の方が多く実施されています。
それは培養技術と凍結技術が向上したことと、日本人は手先が器用で凍結が上手なことが起因しており、これは世界に誇れるでしょう。
また採卵周期と移植周期を分け、それぞれの周期に合った体づくりが重要という考えのもと、採卵周期で得られた全ての受精卵を一度全て凍結する“Freeze all”という手法をとる施設さえ存在します。
このように不妊治療と凍結保存は密接に関係していますが、凍結するには凍結手技に関わる料金と、その後の保存に関わる料金が発生します。
手技に関わる料金はその周期だけの問題ですが、保存に関わる料金は毎月あるいは毎年発生します。
この保存料に保険が適応するとなれば何年あるいは何十年もの間、保険として公費が投入し続けなければならず、すぐに底をつくでしょう。
しかし、先程も記載した通り、現在の不妊治療に凍結は必要不可欠です。ここに適応されなければ本当の意味で患者の負担軽減にはならないでしょう。
もう一つ問題なのは凍結にもいろいろ種類があるという事です。
例えば、精子凍結には精子が少ないので顕微授精をするために念のため保存している場合、単身赴任や出張が多く採卵当日に精子を取れない場合、がん治療前の凍結など様々です。
卵子や受精卵凍結も同様です。
シンプルに今子供を欲しい方がほとんどですが、将来欲しいので若いうちに保存しておく方や(社会的凍結)、がん治療前に保存しておく方(医学的凍結)など様々です。
もし凍結保存についても保険適応されれば、この様々な理由の凍結に線引きをしなくてはいけません。
実際に、全てに保険適応されれば社会的凍結の需要が増えると踏んだ、一部の企業や不妊治療施設がお金稼ぎのために動き出しています。
不妊治療の保険適応化がお金稼ぎの道具にならないこと切に願います。
・科学的なエビデンスが少ない
不妊治療はまだまだ新しい医療分野であり、未だに科学的なエビデンス(証拠)が得られていなかったり、効果や安全性が出生後の長期間の調査で追われていないものがほとんどです。
保険で適応されるものは科学的根拠や安全性が担保されていることが前提となりますので、現在の制度では日本で行われている不妊治療のほとんどが適応されないという状態になってしまうかもしれません。
・法整備
前述しましたが、不妊治療に関する法律はほとんど存在しません。多くは学会の会告やガイドラインによって管理されています。
今後、保険適応となり、国の認めた治療を受けて何か安全性に問題があった場合に国の責任にもなりかねません。
そのためにも学会の会告レベルではなく、保険適応と同時に法整備も行われるべきでしょう。
・胚培養士という曖昧な立場の医療者
医療に携わる医療従事者は様々な国家資格によってその専門知識や技術、倫理観が担保されています。
例えば、医師・歯科医師・看護師・薬剤師・臨床検査技師・理学療法士・作業療法士・あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師、はり師など、ほとんどの医療従事者がカバーされています。
また最近では公認心理師も心理職では日本で初めて国家資格化されました。
不妊治療ではどうでしょうか。
不妊治療では培養室のレベルがそのまま施設のレベルになると言われているほど培養室は重要と言われています。
しかし、その培養室で働く胚培養士は国家資格ではありません。
胚培養士の約半数は臨床検査技師や看護師など国家資格保持者ではありますが、臨床検査技師や看護師になるための学校では胚培養については一切学びませんので、胚培養の国家資格を有しているとは言えないでしょう。
不妊治療において非常に重要な立場にも関わらず、国家資格でないのはどうなのでしょうか。
保険適応するには胚培養においても知識や倫理観が統一されるべきではないでしょうか。そのためにも胚培養士の国家資格化が同時に行われるべきでしょう。
4.さいごに
急に浮上した「不妊治療の保険適用化」ですが、どこまでが保険の範囲となるのかということが一番重要で難しいことと思います。
一番シンプルなのはタイミング法や人工授精など一般不妊治療のみを保険適応とし、体外受精や顕微授精などの高度生殖医療は助成金でカバーするという事だと思います。
しかし、これだけ話題になった今、この適応では患者は納得しないですし、少子化対策にはならないでしょう。
非常にハードルは高いですが、不妊治療の大部分をカバーできるような適応になることを祈ります。
そして、この政策が政権の「客寄せパンダ」で終わらないように、法整備を含めて実行して欲しいものです。
また保険適用することが、一部の企業や不妊治療施設のお金儲けの道具となり国民のお金がそういう人たちに流れることがないようにしっかりと考えて欲しいと思います。
5.まとめ
・不妊治療の保険適用化にはハードルが多く存在する
・医薬品の認可がされていない
・混合診療が多くなってしなう
・治療法が統一されていない
・法整備や胚培養士の国家資格化が同時に行われるべき
・保険適応化で一儲けしようとしている人たちがいる
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